自己紹介

はじめまして、ホーリーと言います。
まずは自己紹介としたいと思います。

ごく普通のサラリーマンだった僕が、人生が180度変わった約5年前のある日のことです。
朝起きて洗濯機を回しいる間にパソコンのパスワードを入力しようとした時、右手で入力するとエラーが出てしまい、左手で入力すると入れたんです。
その時、「右手がちょっと痺れているかなぁ、右手がちょっとおかしいなぁ」と思いました。
それから、、、徐々に、、、右足で立つのがやっとの状態になりました。
自分でもおかしいと思ったので、家族に電話しました。すると、自分が言いたい言葉が詰まったり話せなくなっていました。
家族からも何を言ってるのかが分からないと後から聞きました。

脳梗塞が発覚するまでの身体から出たサイン
1.右手の違和感
2.右足でやっと立つ
3.電話で言いたいこと言葉が詰まる、話せなくなる

すぐに119番に電話しました。
この時自分の言いたいことがちゃんと伝わるか不安でした。
しかし、今の状態を言って名前や住所などを言って救急車を待ちました。

病院に到着後、検査を一通り終えて、病院のベッドに横になっていました。

脳梗塞になった僕は、2,3ヶ月は気持ちが落ち込んでいました。
リハビリは真面目にやっているけど、先が見えないトンネルのように、自分のこれからの未来が想像出来なかったんです。

でも、僕にも甥っ子が生まれきたんです。
甥っ子が将来キャッチボールやサッカーなどのアクティビティが一緒にできるように、身体を少しずつでもいいから回復させないとと思いました。
それからは回復するんだという大きい目標ができ、これまで以上にリハビリを頑張りました。

いよいよ、仕事への復活の道のはじまりです。
仕事は脳梗塞発症してから辞めて、実家に帰ってきていたので、地元で再就職を目指して求職活動しました。
久しぶりに履歴書を書いたり、ハローワークやネットで仕事検索したりしてました。
ラッキーな事に何社か内定を頂いて、仕事は無事に決まりました。

働き出してから順調に日々が経っていきました。
ただ、ここで疑問が出たのです。
もし、今一人で暮さないという状況になったら、自分は暮らせるだろうかと思いました。
洗濯や食事などすることは山ほどあります。今は実家で母親に全てやってもらっていたけど、全部一人でできるようになりたいと思いました。
それから、物件を探しはじめました。
そして、一人暮らしをはじめました。
食事面では、朝は簡単に取れるもの、昼食はお弁当を持参する事(冷凍もの詰めるだけ)、週5日は弁当を注文してとる事(夕食はこれで助かってます)
週末は、カレーや鍋、それから実家からもらった料理を食べていました。
掃除やお風呂は、自分でも出来ていたので心配はありませんでした。
洗濯は、たたむことが上手く出来ないので、アイロンをかけた後はそのままハンガーにかけていました。
その他にも、自分に今できることはやる、出来ないことはやらないって決めていました。

仕事を始めて約3年が経ちました。
なんとか仕事を覚えて少しずつやっていきましたが、ここで、問題が出てきたのです。
1.残業がある
2.休みたい時にすぐに休める環境がない
3.冬場だと自宅も仕事も雪かきがある
この内、1つ目は僕が決めたことで失敗したなと思ったことです。
正社員で採用してくれた会社には感謝しかありませんが、自分が障害者として働くことがこれほどキツイことだと分かっていませんでした。
また、2つ目も正社員だからこそ休めないという気持ちと職場環境が整っていなかったことが原因でした。
3つ目は地域性です。冬になると雪がどうしても降る地域なので雪かきしないと駄目なんです。
ただ、雪かきは障害者には大変なんです。

そこで、ここまま仕事を定年まで続けれないと思ったんです。
ただ、お金がないと生活していけないのも事実です。
どこかの村などに行って、周りからの貰い物だけで過ごしていくのはかなり難しいですからね。

だからこそ、副収入が本当に欲しいなと思ったのが始まりでした。
今は副収入が入れば嬉しいので頑張って入るように色々挑戦していきます。

自己紹介が長くなりましたが、ここまで見てくれてありがとうございました。
これからもブログは続けていきますので、どうぞ宜しくお願い致します。

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